「ねぎのリーダー」の写真館 峠編その2


こちらは管理人「ねぎのリーダー」の峠時代の写真、第2弾となります。

峠時代のざっとした流れは「峠編」にてご紹介していますが、さらに部分的にピックアップした

写真を、当時の記憶と共に解説していきたいと思いますよ。

ただし、俗に言う「バリバリマシン世代」の方以外にはネタ自体が通じない可能性があるので

適度に読み飛ばして頂ければと(汗


かなりボロいファイヤーパターン

さてまずは私の愛機であったスーパーDioですが、これはブルメタ&イエローファイヤーといった仕様になってますね。

この劣化している写真からでも各部のボロさが際立っていますが、塗装当初はともかくとしても、走り屋仕様というのは基本的に「ハデでボロい」のが基本なので(笑

とはいっても、どこかにも書きましたがキャブ回りがべっちょべちょだったりホイール回りがどろどろだったりはしないのがミソです。

そういった点にこそ気を遣うのが美徳であった、とも言えますね〜


フロントタイヤの後ろ側、泥除けやカウル等が一切無くても別に派手には汚れていない、といった感じが

ミソだったりしますが、その反面カウルはキズだらけです(笑

しかしこの写真だとフレームをブルメタに塗装していますが、こういった一手間というのがワンポイントで

面白かった時代でもありましたよ。

そしてチャンバーは多分ベリアルの微妙なワンオフ品、フロントフォークは定番のGダッシュですね。

しかしこのGダッシュフォーク、当時新品で購入しましたがその価値は充分にあった、というのは今でも

覚えてたりしますね。

あ、もちろんホイールなんかはライブDio-ZX用のアルミホイールなんて無い時代ですよ。


左手と右足外しのコーナーリング(笑

えーとこれはかなり古い写真の様ですが…見たまんまでこれはバリバリマシン誌の何かのコーナーに投稿しようと思って撮影した物かと(汗

後ろに写ってる連中は写真としてのエッセンスを狙った物かと思いますがもはや記憶が遠すぎて何がなんだか(以下略

んが、このスタイルだとただの左手外しってだけなら大した事は無いのですが、右足も外すとなるとちと怖いんですよね。

峠のコーナーリングスピードでこれをやるとやばい位に不安定になってたりしますよ(爆


しかもよく見るとこの時の仕様はまだフロントがグリスダンパー&ドラムブレーキな上にステダンを

くっつけているみたいですが、多分ステダンを最強にしてやってたのかと思ったり(笑


珍しくMT車駆ってますね

これはなかなか個人的に貴重な写真ですね〜

借り物TZR50だと思われますが私がミッション車に乗ってる写真というのはかなり激レアですんで(笑

ヘルメットにディフューザーがあるので峠時代としては後期の物になるかと思いますが、いつ撮ったのかすら忘れましたよ…

が、ライダーとマシンの色合いが全然合ってないのがちと(以下略



ちなみに余談ですが、スクーター乗りの人間がたまにMT車に乗ったりすると、どうしても基本的な

旋回力を得られるバンク角まで寝かし込まない、というパターンが多々あったりしますよ(笑

この写真でももちっと寝かせればスムーズライディングだろ、と今でも思えてしまいますが、どうしても

10インチのスクーターを基本として乗っていると、バンク角以外で曲げていく方向性を自動的に行って

しまうので、「写真用ライディング」を行わない限りはこういういたって普通の写真になってしまうという罠です(爆


バーステップ付きJOG

こちらもある意味貴重かもしれませんが、借り物のJOGに乗ってますね。

とはいってもこの手の走り屋仕様のJOGだと、バーステップを増設しているのでイン側の足がかっこ悪いという致命的な弱点があります(笑

ブーツの裏側でステップ先端に突き刺す様にイン側の足を使うので、このイン側の足は通称「ぶっ刺し系ホールド」と呼ばれてました(爆

ちなみにこのステップ位置でもエンジンハンガーボルトの位置よりは20センチ程度下げてマウントしてますが、それでも高すぎるのが現実だったり。


単純にマシンを駐車して眺めている、といった状態ならばJOG特有のエンジンハンガーのボルトの頭部分に

バーステップを取り付けるのが格好良いのですが、攻める&写真写りが前提ならばこういった風味で

バーステップは低めの位置に取り付けるのが基本でしたね。

なんのかんの言っても、バイクというモノはスタイルとして人間が跨っていてナンボだと私は今でも

考えていますんで、ね〜


それと余談ですが…こういった街乗り兼用&峠攻めまくりのJOG系、というモノは、フロントフォークは

ノーマルであった場合、ガッタガタのめっこめこになってる事が大半でして、高速でのコーナーリングを

行う場合には気合と根性で押さえつける、というのが主流でしたね。

それが若さ、とも言えますが今思うとかなり恐ろしかったり…


みかんドラヘルメットの最終仕様

で、あまり気分が乗らない上にスペースの無駄遣いになりますがどこぞのみかんドラでも一発。

ヘルメット自体は、「みかんドラ」の語源ともなったオレンジ色のドラヘルなのですが、これが最終仕様だったかと記憶してますね。

これより後はドラヘルですら無くなってしまってますが、「みかんドラ」というスタイルはこれだ、という事で。

そしてもちろんあんましコヤツに文面を割きたくないのでさっさと先逝きましょう(笑



あ、この写真は借り物JOGでの走りの様ですが、写真撮影用の走りのハズなのにバンク角が全然足りて

いない上に体がインではなく「下」にばかり落ちており、なおかつヒザもそれにつられて下に出してしまって

いる、というかっこ悪い写真をあえて選びましたが。

カメラマンだった私は、かっこ良い撮影写真は全部被写体の連中に持ち去られてしまう事がほとんとで

紹介しようにもかっこ良い物が残っていないってのもありますしねいや〜残念至極の無念の極みで(略



これまた珍しい私のウイリーです

次はこれまた貴重な、私のウイリー走行中の写真ですね。

走りのコーナーリング写真と同様に、ウイリーの正面写真も結構コツが要るのでピンボケになってるのはご愛嬌です_| ̄|○

いつも言ってますが自分で自分を撮るのは不可能なので(泣

このアングルだと上の方から撮ってるのであまり「打点」が高く無い様に見えてしまいますし、正直かっこ悪いですね。

が、これでもちゃんとアクセルとブレーキで「走行」していってますし、60km/h程度の速度であればしばらくちゃんと走れてましたよ。

当時はキャブのフロートのガスがガス欠する位まではずっとウイリー出来てたのですが、これもマシンコントロールといった意味では勉強になりましたね。



ちなみに、「ウイリー走行」というのはその打点を維持したままずっと走り続ける事を指します。

一瞬だけフロントが浮いてすぐ落ちるのはただの「フロントアップ」でウイリーじゃありません(笑

後、こういったスクーターウイリーの場合、当然前って全然見えないのですが…どこから前を見て

いたかと言いますと、ハンドル部分のカウルと、フロントカウルの間のわずかな隙間から前を見て

走行していたりしますんで、決して前を見ずに走ってるワケではありませんので(爆


定番パンツマン

コチラはバリマシの「お笑いダー」のコーナーでは定番化していた「パンツマン」という芸風です(笑

なんの事は無い、見たまんまのスタイルでどれだけ奇抜な事が出来るか、を競うといった感じですが…

一応、公序良俗に反しないレベルではこの程度の写真しか公開出来ない、といった点をご了承頂きたく(汗

ちなみにこの写真、何を狙っていたのかさっぱり思い出せないのがポイントですが何か_| ̄|○


しっかし今見ると阿呆以外の何物でもありませんけれどね…

カッとなってやったワケでもありませんし後悔もしていませんが、ネットの無い時代にこういった感じの

ネタがザラに存在していた、というのは走り屋文化&バリバリマシンってのは結構深かった、とも言えたり

するのかなと勝手にセンチメンタルに浸ってみますが(笑


コンビニ休憩

次にコチラはちょっと趣向を変えまして、昔はよくやった「峠遠征」のひとコマです。

県外の峠を走っている方々と連絡を取り、予定を合わせて一緒に走ろうといったイベント的な物になりますね。

当時はお手紙等でしかこういった交流が出来なかった時代なので、実際に遠征してお互いの交流を深めるという事はよくありましたよ。

そんな遠征…と言いますかツーリングも兼ねてるので道中も色々と楽しいのは秘密です(爆



で、そんな遠征時のコンビニ休憩の写真ですが、真ん中で寝転がってるのがどこぞのみかんドラです(笑

こういうのは0泊2日で仮眠するだけ、といった無茶苦茶なスケジュールなんて当たり前だったので

小休止のコンビニ等では出来る限り体力を回復させるのがセオリーでしたね。

とはいってもここまでやる事はなかなか無いのですが…(汗

今と違って地方のコンビニというのはなかなか数が無く、見つけたら本当にオアシスの様な感じで

嬉しかったというのは何時の遠征でもあったな、と思い出してみたり。

ちなみに場合によっては数十台の集団で移動する事になるので、何台かに区切った上で各々が

中継ポイントで合流しつつ進む、といった方向性を取ってた気がします。

欠員とか行方不明者が出たら大変ですから、そのあたりはいくら若さにかまけていたとはいえ

それなりにはちゃんとしてましたよ(笑


たぶん広島の野○山

で、これは上記の遠征で行った広島県の野○山、だと思われます。

実際には峠遠征だと忙しいというかあれこれやる事があったりするので風景写真というのは驚くほど残ってなかったりするので貴重な一枚ですね。

私、元々風景写真とかを撮るのも好きだったのですが、やはりこういう時だと峠の走りの写真用にフィルムを残しておかなくてはいけないので…

今の時代と違い、シャッターを切るのも時と場合を選ぶ事が多かったですよ。


ちなみにカメラはもちろん銀塩カメラで、デジタルカメラなんて無かった時代ですからくっそ重いカメラと

撮影用の300oレンズをくっつけて振り回してましたし、MYカメラバッグには近接用のレンズやら予備の

フィルムやら三脚やらを満載していたのでかなり身動きは取りづらかった記憶があったり。

ちなみに三脚が何故に要るのか、というのはですね、これは自分の走っている写真を誰かに撮って

貰う為という理由が一番でしたが(笑

同行する人の中に写真撮影が出来る人がいれば良いのですが、場合によってはそうとは限りませんし

居たとしても峠に着くと走る事や現地の方々との交流の方に時間を割くのが基本なのでなかなか

自分の写真は撮られないというオチですけれどね_| ̄|○


よくある後ろがナメてるパターン

こちらはおそらくその野○山でのワンショットになるかと思います。

カメラのシャッタースピード、絞り、置きピンとアングルを設定して三脚に固定して誰かに頼んで撮って貰ったハズですね。

ちなみに私のカメラは当時でも旧式でして、オートフォーカスなんて無い上に巻き上げ含む全てがマニュアル操作でしたよ(爆

もちろん、そんな旧式カメラで走りの正面写真を撮るのは結構テクが居るのは言うまでも(以下略



とはいってもこの写真でも結構白く飛んでいますが、現像してみるまで写りが分からないのでは

贅沢は言ってられませんけれども_| ̄|○

あ、ちなみに余談ですが、オートフォーカスのカメラでもこういった「タイヤだけ回っていて被写体が

止まっている」といった写真を撮る場合だと、何は無くともシャッタースピードだけは最優先で固定に

しないといけませんが、私はマニュアルでおおむね1/250程度が基本でしたね。

後はフィルム感度と天気や光の具合を見て絞りを合わせますが、このあたりはマニュアル操作式の

面白さでもありますから、被写体自体が撮りづらいという事もあり個人的には撮影も楽しかったですよ。

…とはいっても今やれ、と言われればもうその感覚は忘れていると思います(泣


っと、いつのまにやら当時のカメラの話になってしまいましたが(汗

例のごとく、こうやってそれなりに素敵なワンショットがあったかと思えば後ろに写っている阿呆の

おかげで全部台無しになっているという罠ですね。


RT速攻のお二方

こちらも野○山でのワンショットのはずですが…当時岡山県にて走っていた「RT速攻」のお二方のツインウイリーですね〜

ちょっと写真がズレてますがこれまた懐かしいので出してみましたよ。

当時、スクーターで峠を走っているという方は全国にはたくさんおられましたが、こちらのチームの方は近隣の方という事でお会いする事が何度かありましたね。

…あえて詳細は伏せますが後年、WEB上でも再開する機会があり懐かしかったのを記憶しています。

ちなみに前の方はGダッシュに乗っておられますが、90年代の当時でもGダッシュってそこまで多かった訳ではなく、乗ってる方はこだわりがあったという感じだったりしましたね〜

なおこのお二方、ホームコースは当時聖地とまで言われたT山でしたが…非常にテクニカルだったので私はかなり苦手だったのは秘密で(以下略



大阪遠征時

そしてこれは少し時代が進んでいるかと思いますが、これまた遠征時の写真ですね。

当時はどこに行くにも自走をモットーとしていたのですが、これは珍しくトランポだったり。

これは大阪へ行った時だと記憶していますが、地元チームの方々と2台のトランポに色々と詰め込み出立した記憶がありますよ。

とはいえ、当時は車輌の積み込み方も全くノウハウが無く、かなり無理矢理だった気がしま(略



これは確か季節的に真冬でして、大阪あたりの峠や埠頭を2日かけて回ったかなと…多分ですが(笑

が、スケジュール的にもかなり厳しかった上、宿泊場所やら何やらで無茶苦茶トラブルの多かった

遠征だった事だけは記憶に残っていますね〜

雪の残っている峠やら、経験の無かった全面減速帯の峠とかを走るも正直全くもってまともに

走れる以前の問題だった気もしますが、それでも有名な現地の方々とお会い出来たりしてそれなりに

楽しい遠征だった…ハズ(汗


確か汐○埠頭だったかなと

次にコチラですが、これはその大阪遠征の最後に取った集合写真です。

当時バリバリマシン誌上で有名だった方もおられますが…今見ると本当に「それっぽい」思い出の写真って感じがしますよ(泣

ここは有名な大阪湾岸のL字スポットですが、確か色々あってほとんど走れなかったのですけれどね…

とはいっても、中途半端な峠仕様のマシンだと速度が足らなさ過ぎた、という説もありま(以下略



でもって…この時の大阪遠征では、私の走り屋人生の中でも最大級のインパクトを受ける事件があり、

この後のスクーターライフそのものにまで大きな影響を及ぼしたんですよ。

集合写真にも写っているのですが、私達はこの時には湾岸系のハイチューンなスクーターを拝見しに

行ったハズなのに、それよりももっと驚いたのはその方々が別に「FN仕様」のノーマルスクーターを

所有しており…爆裂加速をするハイチューン水冷スクーターも充分衝撃的でしたが、それ以上にそのFNと

いった、「初めてナマで見たノーマルのレーシングマシン」での走りに魅了されてしまったんですよ…


当時、バリバリマシン誌上でも峠仕様や湾岸仕様だけではなく、ノーマルスクーターにて攻めた場合の

写真で「ゼロハン俺ハ」への投稿も結構あったのですが、実際にノーマルスクーターで走っている方々を

見るとそれは今までに見た事が無い位のハイテクニックの応酬でして…10インチのスクーターでそんな

マシンコントロールが出来るのかと、正直コチラの人間は皆唖然としてしまったという(爆

まさに目からウロコ、遠心力によるコーナーリングフォースとホールドに頼った走り方しか知らなかった

私には正直理解が出来なかったレベルの衝撃でしたね〜

もちろん、当時でもすでにサーキットは何度か走ってはいましたが、本気でサーキットを走っていると

いったテクニックというモノは峠とは全く別物である、といった事に心底感動したのもあります。

もちろん、言うまでもありませんが地元のサーキットではスクーターで走っている人なんて全く居らず、

ここで見るまでどんなものなのかを全く知らなかった、というのも大きいですけれどね。

まさにカルチャーショックでしたよ。


で、これはもう少し後年の話になりますが、この写真に写っている方の内の何名かは、後に関西の

まるち杯において、FNやFPクラスにてEXPクラスのトップ争いをされるまでに躍進されています。

それを誌面で見た時には私自身かなり感動してしまい、ああ、あの時の方々ってやっぱり行く所まで

行き着いたんだなあ、と思った次第ですよ。

その頃の私もレースは始めていて、一応まるち杯も走った経験はありましたが、その厳しさを身をもって

知っていただけに余計にそう思った、というのは秘密ですけれど、ね(泣


しかし今になって思うと、当時やらちょっと後の時代やらで面識のある、もしくは一緒に走った人が

モトチャンプの広告にでかでかと載ってたり、鈴鹿8耐のライダーになってたりすると凄いなあ、としか

感想が出てきませんが、それだけ時代は過ぎているのだなあ、とちょっとおセンチになったりもします…


峠とライブDio-ZX

これはさらに時代が過ぎ、ライブDio-ZXに乗り換えた直後の攻めてる写真ですね。

この頃にはサーキットと峠が半々となっていた頃だと思いますが、峠で一番速く走れていたのは間違いなくこの頃でしょう。

とはいっても写真を意識せずのある程度のバンク角には留めている様子ですが…

なおこの写真だと、イン側のヒザから下が妙にうねってるフォームになっていますが、サーキットで極端なリーンインとハングオンを覚えてしまったのでこうなってます(笑



で、それは何故かと言いますと、スクーターは基本的に「無理ヒザ」なのですが、それでもバンク角と

体重移動が大きくなってくると、物理的にヒザがあまり開けなくなるので「前に出す」しか無くなって

くるのですが。

カカトをステップにくっつけたままでヒザだけ前に出しすぎるとかっこ悪くなるので自然とこういった

イン側の足のポジションになってしまう、というオチです。

…とはいってもこんな事書いてもフォーム研究家の人じゃないとワケが分かりませんよね(笑


ゼッケン貼りっぱなし

コッチは峠の写真ではありますが、レース用のゼッケン貼りっぱなしのライブDio-ZXですね(笑

なんと言うのか、こういうレースもやってるんだぞ的な風味がかっこ良く思えるお年頃だったのですよ。

そのワリにはステッカー等もほとんど貼ってないですし、レーサー風味が全然出ていないのがミソです(汗

そういった風味は意識することなく、自然と身に付いていく物だった、というのを知るのはもっと後の話になりますね…


あ、ゼッケンプレート位はこのすぐ後にくっつけた記憶がありますね。

こういったシール式の配布タイプのゼッケンというのは「後」で剥がすのに苦労する物なので(爆


ちなみに余談ですが、ノーマルレースというモノはもう無茶苦茶に新品パーツへの交換頻度が高く、

お金がかなり掛かるという事は他のコンテンツでもご説明していますが、そういった運用状態の場合、

腰下をO/Hしたり、シリンダーを新品にしたりすると当然のごとく組んだ直後では大してパワーが出ず、

基本中の基本である「慣らし」を行わなくてはいけないんですが。


私は最初の頃はこのライブDio-ZXにナンバーや保安部品を付け、そういった場合には街乗りや峠を

走ってレース用としての慣らしを行っており、これは今思っても結構なメリットになっていたと思います。

ノーマルエンジンのパワーでは、正直シリンダーやクランクシャフトがしっかり馴染むまでにはかなりの

距離を走らないといけませんし、腰下O/Hの後だと100kmとかではまず慣らしは終わらず、500km以上は

走らないといけませんでしたからねえ…

それをサーキットだけでやるのはかなり苦痛だった、と当時の私は思ったワケで(汗

(※今は色々とその辺のスキルも向上しているのでそうでもありませんが)


なので、この頃の教訓が今現在でも生かされており、普通はレーサーはスピードメーターは無いので

当然オドメーターも無く、パーツの管理等は「使用時間」で行うのですが、私はそれに加えて物理的な

「走行距離」にてパーツの劣化等を管理している、というのがあります。

どこかで書きましたが、サーキット走るマシンにスピードメーターが付いているなんてのはかなり珍しく

当時はバカにされる事もありましたが、今ではそれが間違っていたとは死んでも思えない、と

断言しても良いので、ね(笑

ただでさえぺーぺーなのに、自分に入ってくる情報を自分から捨てて良い事なんて何も無いので。

…どこぞの某みかんの様に格好を追求してメーター外してたパターンとかは、メリットを自らかなぐり

捨てているだけの無意味な行為だった、と自信を持って言えたりしま(以下略


ワケの分からんトレーナー

コチラは確か…最後の方に作ったチームトレーナーです。

とはいってもこれも某みかん野郎の独断と偏見にて意味不明なデザインとなっておりますが(笑

ちと格好付けすぎの感があり、走り屋的なハングリーさが薄れている気がしてなりませぬ_| ̄|○

…ちなみに書かれている英文(?)の日本語訳を知りたいという奇特な方が居られましたらご一報下さいませ(笑



それと写真では分かりづらいですが、英文の下にある白いスペースは「ねん」「くみ」「なまえ」を書く

スペースだったりしますよ。

…しかし私、このトレーナーどこやっちまったんだろう、と思ったりしますが雑巾にはしていないはず(爆


みかんドラ&水冷JOG

さて、そろそろ長くなってきたので今日もみかんドラを貶めながら解散としたく思いますです。

この写真はみかんドラ&3YJベースの水冷JOGですが、実はトラブルばかりでまともに走った事はほとんど無いというオチだったり。

このヘルメットだと「みかんドラ」の風味はどこにもありませんが、サーキットを走り始めてからはこういったデザインが大流行したんですよね。

これは前述した、大阪周辺の方々のヘルメットのデザインを踏襲していますし、私なんかは今でもこういった風味のヘルメットを使っているのもポイントですね〜


で、カンの良い方はすでにお気付きかと思いますが、この写真の左端には何やら黒い物体が

見えていますが…もちろんスクーターのフロントタイヤで誰かが転倒している瞬間だったり(爆

誰だったのかはもはや覚えていませんが、このコーナーは写真用&ギャラリーコーナーという事も

あり、それなりに「攻める」所だったので転倒はたまに起こってましたね。

とはいえ、ここのアウト側は縁石で囲われた土のあるデッドスペースで、その奥にはさらに少しの

駐車スペースがあるという所なので、ここで転倒しても谷底にダイブしたりはせず、回りの公共物を

破壊する事も無い場所だったのでホントに良いコーナーでしたよ。

今はもう路面ボロボロでセンターポール立ってたりしますけれどね…(泣



色んな意味で惜しい一枚

そして最後にコチラになりますが…説明が無いと何が何やらワケが分からない写真です(笑

側溝に青いJOGがボテこんでおり、その下の浅い谷底には青いツナギが落下しておりますが。

これは私ではなく某みかんドラそのものなのでお間違え無き様にお願いしますね〜

…もうちょっとだけシャッターが速ければ最高のワンショットになったのですが、ホント惜しい一枚です_| ̄|○



で、これは別にお笑いダー狙いのやらせではなく、本当にやらかしている一枚なんですよね(汗

某みかんにウイリーの写真を撮ってくれと言われたのでいつもの所でカメラを構えていると、

ウイリーから着地したみかんドラJOGのフロントが軽いハイサイドを起こし、そのままフロントから

ぶるぶる震えながら側溝に向かってダイブ、その上運良く側溝の終わりの部分まで綺麗に

ミゾにはまりつつ走行し、ミゾ終点でコンクリートブロックに激突してそのまま人間だけがさわやかに

宙を舞い、流れる様に頭から草むらにダイブして着地したその瞬間、になります(笑


実際はこの直後には見事なまでにもうちょっと転がって谷底までボテこむのですが、丁度

シャッターを切ったタイミングが悪く、空を飛んでいる瞬間でもごろんごろんしてる瞬間でも無いと

いうのがカメラマンとしては今でもちと残念だと思ったりしますよ_| ̄|○

せっかくの一枚なのになんとなくやらせっぽく見えてしまうのが本当に悔しいですよ…(笑

ちなみにこのポカで奴のJOGはフロント全損でした、というおまけつきです(爆


とまあ、あまり時系列とかを気にせずに昔の峠写真をご紹介してみましたが、バリマシ世代の

方であれば笑えるツボもあったかな、と信じてみます(汗

何度も記しますが私はカメラマンだったので、良い写真とかは持ち去られてしまってほぼ手元に残って

いないのですが、危機一髪的な写真も探せばあると思うので、またの更新に期待して頂きたく

思いますよ〜

とはいえ、これを書いているのはすでに時も2014年、20年前の写真がどこまで出てくるのかは

怪しいものですが、あれば、ですが次回はサーキット等の写真も交えてみたいと思いますです。


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